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川越駅(かわごええき)は、かつて三重県三重郡川越町(川越村豊田一色地区)に存在した近畿日本鉄道名古屋線の駅である。 1945年(昭和20年)に隣駅であった富洲原駅(現在の川越富洲原駅)に吸収される形で統合され廃駅となった。近鉄名古屋線では1946年(昭和21年)7月13日に当駅が廃止された。川越駅は富洲原駅と統合されて、南側の豊田地区に移転となっている。 == 概要 == 川越地内に鉄道が開通したのは昭和に入ってからである。それ以前は1894年(明治27年)に開通した関西鉄道(後の国鉄関西本線)の三重郡富田町の富田駅が最寄駅であった。川越村の中心地域から3km以上の距離があり、川越村民の利用は少なかった。日露戦争から~日中戦争~太平洋戦争など対外戦争があった大日本帝国時代の兵士の出征には川越村民は富田駅まで歩いて行列を作った。大正時代の伊勢電気鉄道社長に川越村の豊田一色区出身の大塚寛太郎が就任した事も川越駅の建設を推進した要因である。1929年(昭和4年)1月の宇治山田市の伊勢神宮と名古屋市を結ぶ参宮鉄道を目指して伊勢電気鉄道の四日市駅 - 桑名駅間が開通した。この年に三重郡富洲原町に伊藤平治郎が誘致した須賀浦海水浴場の観光を目的とする富洲原停車場(後の富洲原駅)と、三重郡川越村に川越停留場が開設された。富洲原停車場は現在の川越富洲原駅より約300m南側で、川越停留場は朝明川南堤防付近の南側は豊田地区で北側が豊田一色の神社がある川越の朝明川の内部にあった。近畿日本鉄道となった1945年(昭和20年)に川越停留場は廃止されて、富洲原駅を現在地の約300m北側に移転させた。 伊勢電気鉄道は桑名駅(停車場)→益生駅(停車場)→町屋駅(停留場)→伊勢朝日駅(停留場)→川越駅(停留場)→富洲原駅(停車場)→西富田駅(停車場)→霞ヶ浦駅(臨時停留場)→羽津駅(停車場)→阿倉川駅(停車場)→川原町駅(停留場)→西町駅(停留場)→諏訪駅(停車場)→四日市駅(停車場)となっていた〔川越町史 p.521〜522〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川越駅 (三重県)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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